2017/03/24

教育研究補助職員の高谷範子さんからのご退職のご挨拶


長年にわたって教英を文字通り支えてくださった教育研究補助職員の高谷範子さんが今月末をもってご退職なさいます。


先日、講座教員で送別会を開きました。





以下は、高谷さんからのご挨拶です。

*****

教英図書室で事務をさせていただいています高谷範子です。

家庭の事情により2017年3月末日で退職することとなりました。

平成5年5月より24年間、先生方に優しくご指導いただき、学生の皆様に助けていただきながらここまで続けることができたことをとても感謝しています。

またいつかどこかでお会いすることがあるかもしれません。

その時には是非声を掛けてください。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

                                                                                                                            高谷範子

*****




なお、教英では4月から新たに事務補佐員の方をお迎えします。

高谷さんがいなくなるのは寂しいですが、教英は新年度も充実してゆきますので、皆さまどうぞご期待ください。





築道和明先生の卒業式・修了式でのご挨拶


 
 昨日、卒業式・修了式を行いました。以下は、築道和明先生がなさった挨拶です。管理人も聞いていていいお話だと思いましたので、無理を言って築道先生にご寄稿願いました。

 当日のご挨拶は原稿を読み上げる形ではなく、即興の話題なども入れられながらお話されたものでした。ですから、下の文章は挨拶の元原稿であり、当日の挨拶の書き起こしではないことを予めお断りしておきます。



 卒業生・修了生が、教師・研究者あるいはそれ以外の職業で、人間の幸福のために貢献してくれることを祈っています。



 そのためにも卒業生・修了生の皆さんは、まずは自分の健康を大切にしてくださいね。










*****



 卒業,修了,学位の取得,おめでとうございます。



 先日,卒業生の結婚式に伺いました。教英22生同士の結婚です。3年しか経過していないのですが,それぞれに色々な変化,変容があるようです。外見が変化して恰幅よくなった人,結婚して赤ん坊を抱いて出席している人,卒業時は講師として勤務し,晴れて正採用となり,正採用になってみたら,同じ高校で職員室の席も隣同士という人たち,民間企業に就職し転職を決意し,新たなスタートを切った人,本当にそれぞれに大きな変化や小さな変化があるようで,話に花を咲かせる楽しいひと時でした。



 そのような中で,小学校,中学校,高校に勤務している人たちが異口同音に述べた内容は,

「先生,英語学習や英語の授業以前の問題に悩んでいます」という点でした。教室に入らない,教室にいても動き回る,私語をする,指示が伝わらない,こうした学習者の行動にどう対応すべきか悩んでいるということでした。



 グローバル化を目指し,英語教育はさらに改革を進めることを求められています。しかし,

皆さんに心に留めておいてほしいことは,高度な英語教育が実践される一方には,多数の英語学習につまずく学習者が存在するという事実です。あるいは,そもそも学びそのものに心が向かわない学習者の存在です。



たとえば,やる気がないと一見思われる学習者,単語の綴りがなかなか覚えられない学習者,ペアやグループ活動に参加しようとしない学習者が目の前にいたら,本人のやる気の問題だといった結論を簡単に導かず,認知特性なども踏まえて考えられるいくつかの要因が存在するだろうという発想を持つこと,原因の特定化にはすぐには結びつかないまでも,複数の要因が影響しているのではないか,それらは何かを「想像する」力を持ってほしいと思います。同時に,広島大学の教英で学んだ英語教育学をさらに学び続けて,研究の中に英語学習や学習へのつまずきを探るヒントがないかを追い求める「研究的な姿勢」も持ち続けてほしいと願っています。



 偉そうなことを言っていますが,これらの点は私自身の深い反省に基づいています。 1995年当時,まだ第一,第三土曜日は学校がありました。その頃のエピソードです。土曜日に英語の先生が中学1年生に英語で面接をしておりました。質問の一つが “What day is it today?” しかし,その生徒はなかなか答えられない。やがて ‘S’という音を発しました。先生がヒントに ‘Sa?’と示す。それでも答えられない。何度かのやり取りがなされた最後に “Sawaday.”と答えました。当時,録音されたこのやり取りを聞いて,私には考えられる原因がなかなか浮かびませんでした。むしろ,ジョークで言っているのかと担当の先生と笑ってしまったのです。今なら,特別な支援等も含めて異なった見方をしていると思います。



 「想像力を豊かにすること」と「英語教育や認知的な発達等,関連分野における研究を追い続けること」,この二点を是非皆さんにも期待します。



 本日は卒業,修了,おめでとうございました。



今年度卒業・修了の築道ゼミの皆さん
(その他の写真は現在整理中ですので、しばらくお待ちください)。








 

2017/03/22

フィリピンの言語教育から見る日本英語教育の未来


以下はフィリピン大学ディリマン校へ約1年間留学した経験をもつ学部生のYK君が書いてくれたレポートです。フィリピンの言語教育の現状から、日本の英語教育(過剰な英語志向)について考えようとしたものです。

フィリピンでは、多くの人々にとっての「母語」(現地語)は学術活動や経済活動や政治活動などを担えるだけの「力」をもっていないので、「国語」としてフィリピン語が教えられると同時に「公用語」として英語が教えられています。ですが、言語のもつ「力」としては「国語」としてのフィリピン語よりも「公用語」としての英語の方が圧倒的に強いようです(あるいはそうならざるを得ないような歴史をフィリピンは有しているというべきでしょうか)。

そんなフィリピンの状況から今後の日本の英語教育がとりうるかもしれない一つの可能性について考えた文章です。「一概にフィリピンがこうだから日本もこうなる!とは言えません」というのはYK君が言うとおりですが、英語教育熱について考えるための一つの視点を提供する文章として読めば面白いのではないでしょうか。

以下、「母語」(200近くの現地語、あるいは家庭内で使われている言語)、「国語」(フィリピン語)、「公用語」(英語)の違いを頭に入れた上でお読みいただければと思います。

なお、下の文章には趣旨を変えない微細な字句修正を私が若干していることを申し添えておきます。




*****


フィリピンの言語教育から見る日本英語教育の未来


0. はじめに

 「コミュニケーション能力と英語教育」最終提出課題は,今までの授業で習ったことの総復習として行うのが主な目的であるが,今回は範囲を絞り,特に授業終盤で取り扱っていた母国語と英語教育の関係に焦点を当てていく。フィリピン大学ディリマン校へ約1年間留学し,今の日本の英語教育の方向と過去のフィリピンで行われてきていた英語教育の趨勢との相似点がたくさん見られることに気づいた。そこで,この課題ではフィリピンで行われてきた言語教育について紹介し,日本の英語教育との相似点・相違点などを踏まえて今後の英語教育はどうなっていくのかについて考察する。


1. フィリピンの言語教育

 フィリピンの歴史はそのほとんどが植民地支配の歴史といっても過言ではありません。今のフィリピンの中高生の歴史の授業では,なんと16世紀ごろから学び始めるとのことで,つまりそれはマゼラン率いるスペイン船団が最初にフィリピンを訪れてから始まったスペインによる植民地支配の時代からの歴史です。実際に,私がフィリピン教育についての授業を受け,グループごとにその当時の教育制度について発表するものがあったのですが,そこでは「植民地化以前」「スペイン統治時代」「アメリカ統治時代」「日本統治時代」「戦後」というふうな別れ方でした。(ちなみに,日本統治下時代が最悪だったとはっきりと言われてしまいました笑)

 さて,英語教育に話を戻すと,フィリピンで英語教育が本格的に始まったのは19世紀末からのアメリカによる植民地支配です。その時代から首都マニラで主に使われていたタガログを基礎とするフィリピン語を「国語」とし,英語は「公用語」であったのですが,200近くの言語が存在すると言われる国ですので,英語はおろか国語であるフィリピン語すらもまともに話せない国民がいました。その頃から行われていた言語教育は”BEP –Bilingual Education Policy-”と言われるものであり,国語であるフィリピン語と公用語の英語の習得を最大目標にした教育が行われていました。たとえ英語やフィリピン語が母語でなくとも,小学校に入れば学校で母語を使うことはほとんどなく,理系の授業は英語,文系の授業はフィリピン語というような使い分けをしながら全ての授業を母語以外で受けなければいけません。そのような環境での言語教育が長らく行われてきたために,現在のフィリピンでは多くの国民がフィリピン語と英語,そしてそれに加えて母語の3ヶ国語を話すことができます。特に多くの国民が英語を話せるというのは非常に大きな利益であり,多くの国民が英語教師やハウスキーピング,看護師として海外で働いています。驚くことに,海外で働くフィリピン人の家族への仕送りがGDPの約10%をもしめるということで,一見この国の言語教育は大成功を納めているようにも思えます。

 しかし,実情を見てみると,このBEPによって多くの若い学生たちが苦しむことになってしまっていることがわかりました。前述の通り,小学校から(早い所では幼稚園の時から)母語ではなく英語もしくはフィリピン語で授業を行なっているために,当然言語的な問題により授業についていけないという生徒が出てきます。私がフィリピンの教育に関する授業で見た「教育現場の実情を伝えたDVD」によると,小学生の約10パーセントが英語がわからないせいで授業を受けることが困難になっています。そして,35パーセントの生徒しか12歳で小学校課程を終えることができていないのです。日本でも「英語格差」という言葉は時々言われますが,この国で英語ができるかどうかは義務教育を終えることができるかというとても根本的なことにまで影響してしまうのです。英語格差は教育現場だけではありません。映画館ではフィリピン語による字幕や吹き替えの映画などは少なく,ハリウッド映画はそのまま字幕なしで見なければいけませんし,多くの書籍も海外からそのまま輸入しているので英語です。富裕層の間では子供に何よりも英語力をつけさせるために,家庭内言語は英語にし,幼い頃から英語のテレビ番組などしか見せていません。結果として,この国ではその地域で主に使われている現地語が母語である子供と,英語が(家庭内の)母語である子供というふうに分かれてしまいました。フィリピン国内では「英語ができるかどうか」ということが明確に社会的地位を分けてしまっています。

 もう一つ大きな問題があります。私が向こうの大学で出会った社会学専攻の学生がこのバイリンガル教育で何よりも悪影響があるとしていることは,「国語の衰退」でした。一度この授業の予習か振り返りで書いたことですが,彼らは国語で学問的な内容を取り扱うことができません。フィリピン大学という国内ナンバーワンの大学に在籍している学生たちであっても,90分の講義を全てフィリピン語(もしくは彼らの別の母語)で受講することができるかと問うと絶対にできないといいます。大学の教授に同じような質問をしても,やはり英語でほとんどの学問を修めてきたので国語で授業はできないそうです。論文を国語で書かなければいけない時があって,その時は一度英語で書いてしまってからそれをなんとかフィリピン語に直すというような手法をとっていました。明らかに私たちの国語である日本語と彼らの国語の立ち位置というものは全く違っています。私にとっては英語を習得させることに躍起になりすぎると不利益の方が大きくなってしまうように思われました。

 その言語教育もここ数年で変わろうとしていました。それが,”MTB-MLE -Mother Tongue Based Multilingual Education-”といわれるものです。「母語での学習を大事に」という目標を掲げたこの教育計画では,まず小学校2年生までは全ての授業を母語で行い,同時にフィリピン語と英語も母語で習い始めます。そして小学3年生からはこれまで通り理系は英語,文系の授業をフィリピン語で学習していきます。もちろんこれでも日本の教育と比べると国語の存在は薄いものですが,国語で書かれた教科書を用意するのに多大な努力を要すること,そもそもフィリピンの諸言語には学問的な語彙が不足していること(国語であるフィリピン語にも光合成という言葉は存在しません)などを踏まえると大きな改革であります。まずは母語で考える力をつけてから,第2,第3言語を習得していくというスタンスになってからまだ数年も経っていないので,どのような成果が上がるのかはわかりませんが,以上がフィリピンの言語教育の現状でした。


2. 日本の英語教育との相似点
 
  今まで書いてきたようなフィリピンの言語教育と日本の英語教育とで似通った箇所がいくつかあったように思います。

 まず,どちらも実用的な英語の習得を最大の目標としている点です。例えば,私たちが大学1年生の間に学んだ第2外国語の主な目的がその言語を使えるようになるためだったのかといえば決してそうではなかったはずです。どちらかというと教養として学んでおくべき,というような教養的側面が強かったように思います。それに対して,今の日本の英語教育の目標を見ると,多くの場面で「コミュニケーション能力」と言った言葉が使われており,教養的な側面よりも実用的な,「頼むからみんな英語が喋れるようになってくれ・・・!」というようなことが感じ取られます。これは前述の通りフィリピンでの言語教育でもそうで,「英語が話せる国民が増えること=海外で働ける人材の増加→国の収益の増加」という考えがあります。

 次に,外国語である英語を他教科の授業に取り入れる点です。フィリピンでは英語が外国語でなくなってからしばらく時間が経ちますが,日本でも他教科を英語で教える取り組みが行われようとしていることを考えると,両者の共通点とすることができます。


3. 日本の英語教育との相違点

 両者を比較してみる場合,いくつか留意しておかなければいけない相違点があります。

 第一に,両者の英語教育の始まりを見てみると,日本は長い鎖国の後に外国船との交流を通じて英語学習の必要性を感じ始めたのが始まりです。一方でフィリピンでは,スペインによる長い植民地支配が終わったかと思えば,今度はアメリカによる植民地支配が始まり,英語を話せなければいけない状況に陥ったことが英語学習の始まりです。「英語を話さなければいけない」という必要性に関して両者で全く異なります。

 また,日本は日本語話者が大多数を占めますが,フィリピンは多数の民族・言語から成り立つ多民族国家です。その点においても共通言語としての英語(またはフィリピン語)の必要性というものは日本とは変わってきます。


4. 今後の日本の英語教育についての考察

 フィリピンの言語教育について軽く紹介し,日本の英語教育との相似点・相違点をいくつか挙げたことを踏まえて,今後の日本の英語教育がどういったものになっていくのかについて私が考えたことを書いていきます。

 留学中,フィリピンの言語教育を見てきてずっと頭の中に残っていたことは,「もしかすると日本はフィリピンの英語教育の道を辿り始めたのではないか」ということです。現在の日本では,生徒が英語を話せるようになることを最大の目標として掲げているように感じます。国際競争の中で英語が得意な国と苦手な国では大きな差が生まれてしまいますし,私自身も英語を話せるようになることはたくさんの利益があって素晴らしいことだと考えています。しかし,今の英語教育の方向性を見てみると,できるだけ学校現場で英語に触れる機会を多くすることに力が注がれているのではないでしょうか。早ければ幼稚園の段階から英語に触れさせる機会を作っていき,小学校では算数や理科などの教科も英語で教えられるようになり,とにかく英語を中心とした教育が望まれているとするならば,それは今までフィリピンで行われてきた言語教育に近いものになっていくような気がしてなりません。

 少し大げさなのかもしれませんが,このままではフィリピンのように英語で義務教育の全てを行い,英語ができる生徒がいわゆる「勝ち組」で,英語ができなければ数学など他の教科の授業すらも理解できないような事態になってしまうのではないでしょうか。また,英語は達者に話せるんだけれども,母国語であるはずの日本語でまともに読み書きができないような生徒が生まれてしまうかもしれません。この授業の最後に先生が「母国語ではない言語でなされる教育は,知的な格差を生み出してしまう。母国語で考え,学ぶことができなくなることは,英語を使うことができる生徒を生み出すことの利点以上に大きな損害をもたらしてしまう」というようなことをおっしゃっていましたが,私は留学中に実際にそのような状況に陥ってしまっているフィリピンの教育を見て,日本ではそうなってはいけないと考えてきていましたので,全身を使ってうなずきたくなるくらい同意しながら聞いていました。

 もちろんすでに書いた通り,日本とフィリピンという国は全く異なる文化的,歴史的背景を持っており,一概にフィリピンがこうだから日本もこうなる!とは言えません。ですが,フィリピンという国での言語教育の経緯から,日本の英語教育が学ぶべきことはあるはずです。英語「で」教育をしていこうという取り組みから,母国語で思考することができる素地をまずは育てようという教育方針に変えた国があるのならば,今,強力な母国語を持っているこの国がその母国語の価値を薄めてまで英語を学ばせなければいけないのかというと,少し疑問があります。英語教師を目指すものとして,英語を教えるのだからこそ日本語という母語を大切にしなければいけないと強く感じました。





2017/03/17

「予習を求めず、教科書を易しく書き換え、生徒に考えさせる」 -- 新卒一年目の高校教師の実践


 以下は、新卒で高等学校での勤務を始めたのOH先生が、OBも参加するゼミ合宿で発表してくれた最初の一年間の実践の振り返りです。

  いきなり親バカ的コメントで恐縮ですが、一年目でこれだけの実践ができて、なおかつ(こちらの方が重要だと私は思っているのですが)彼自身が幸せな毎日を送っているというのはすばらしいことだと思います。

 教職に興味をお持ちのかた、ぜひお読み下さい。



ゼミ合宿で発表するOH先生

*****

 こんにちは。私は、昨年度教英を卒業し、X県の公立高等学校に勤務しているOHと申します。X県の高等学校で働き始めて約一年が経過しました。今日は、僭越ながらこの一年間の私の授業実践を紹介させていただきたいと思います。私自身教員一年目で、初任者として至らない点が多く、学ばなければならないことが多い立場ですが、私の授業実践が一人でも多くの方のお役に立つことができれば、とても嬉しく思います。

  私が現在主に受け持っている生徒は、特別進学コースという、大学進学を目指した授業が行われるコースの生徒です。特別進学コースは、高校入学時に、希望した生徒が入ることのできるコースなので、学習規律は整っており、授業だけでなく、予習や復習にも一生懸命に取り組むことができる生徒です。しかし、特別進学コースといえども、学力差はかなりあるため、一生懸命に学習に取り組むけれども、なかなか頑張りが結果として現れないという状況があります。この状況を少しでも改善するために、一年間、生徒の学習状況を踏まえた上で、自分なりの授業実践を重ねてきました。

  まず、生徒の学習状況についてですが、生徒を観察すると、学習状況にある特徴があることが分かりました。それは、一生懸命に頑張る生徒ほど予習に時間をかけ、予習や授業中に、単語の意味を調べるためによく辞書を引くというものです。このような特徴を持つ生徒の英語力について、前任の先生に尋ねると、確かに頑張り屋さんが多いけどとにかく英語が読めない、ということを言われました。このことを踏まえ、私は「生徒に、教科書の英文と格闘し、とにかく自力で英語を読ませること」という目標を立てました。

 生徒が自力で教科書の英文を読むことができるようになるために、以下の三つのことを実践しました。

 一つ目は、生徒に予習を求めませんでした。大きな理由は、予習をさせると、英文の意味を考えることなく、未知の単語に出くわす度に、辞書を引いて意味をノートに書くという、極めて機械的な作業に終始してしまうからです。このように、予習をして授業に臨もうとする態度自体はきちんと評価されるべきですが、このような機械的な予習すると、英語の勉強をした気になって終わってしまっているのではないか、という仮説を私は持っています。機械的な英語学習を繰り返すだけで、果たして、英語に対する知的好奇心が刺激されたり、英語の実力がついたという実感が湧いたりするのだろうか、という疑問を持っています。また、機械的に辞書を引く習慣をつけると、この単語はこのような意外な意味があったのか、といった感動は生まれにくいのではないでしょうか。もちろん、辞書を引くこと自体は否定されるべきではないと思います。似たような意味を持つ単語の些細な違いを調べたり、語法を調べたりするといった辞書指導を行っているのであれば、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし、今年度は辞書指導ができなかったため、作業として辞書を引くことを避けるために、予習は求めないこととしました。

 二つ目は、教科書改作を行いました。具体的には、教科書の英文の中で生徒の語彙レベルよりもはるかに高いと思われる語があれば、易しめの類義語で言い換えました。生徒が英文を読む様子を見ていると、分からない単語に出くわすとそこで考え込んでしまい、なかなか読み進められないことが分かりました。いずれは未知語を推測させる指導も必要になると思いますが、今は自力で英文を読み通すことに重点を置くことを目指しているため、語彙レベルの配慮を行いました。また、具体例がふんだんに交えられていてパッセージが長いと感じた時は、具体例の一部を削除し、文章の論理構成が保たれる程度に改作を行いました。これは、「これぐらいなら読めそうだ」というやる気を維持させることと、文章を丁寧に読ませることを目指して行いました。

 三つ目は、教科書改作と少し関連しているのですが、教科書の本文すべてを用いずに指導を行いました。’However’という語があり、その後の大まかな内容が予測可能な題材を用い、その内容を日本語書かせるというタスクを行いました。生徒には、’However’以後の英文を空欄にしたワークシートを配布し、’However’の前後では内容のイメージが真逆になるということを意識させながら、ワークシートに日本語で記入させました。

 以上の三つことを実践した結果、自力で英文を読もうとする生徒が年度当初と比べると増え、英文を何度も読みながら自力で考えることができる生徒も増えたように感じています。ここまで私の一年間の実践を紹介させていただきました。私の実践が直接役に立つものかどうかは分かりませんが、読者の皆様に何らかの示唆を与えることができれば大変嬉しく思います。読んでいただきありがとうございました。



ゼミ合宿の一環として錦帯橋にも行きました

2017/03/08

2017年第41回ITCを通しての感想


以下は、学部生主宰の英語合宿  (ITC) のチーフをやってくれたS君の感想です。S君、原稿をありがとうございました。

ちなみに下にある "first penguin"とは、水に最初に飛び込むペンギンのことで、果敢にリスクを取る人のメタファーとなっています(参考 http://www.cmu.edu/randyslecture/honor/)。 

40年間の伝統にあぐらをかくことなく、毎年毎年この行事を進化させてくれている学生さんたちを教員としては本当に誇りに思っています。




他の教員と共に、管理人も合宿の一部に参加しました。




加えて管理人は合宿の様子を約350枚の写真に収めました。

今回、その写真を整理しながら学生の皆さんの笑顔を見ていて、カメラマン役をできる教員って幸せだなと改めて思いました。

それではS君の感想をどうぞ。





*****


一年間の様々な教英行事の中でも一、二を争うほどの最大行事であるITC(Intensive Training Course)を今年も1月半ばに開催しました。ITCとは簡単に言うと、日本語禁止、All in Englishで三日間を過ごすキャンプです。教英の一〜三年生で行うもので、二、三年生が劇やロールプレイング、ディベートなどの8つのアクティビティを分担して企画し、それらのアクティビティを通して英語を使うことの楽しさを学び、英語を体験的に学習するという楽しい合宿です。

私が考えるところのITCは、同じ志を持つ仲間たちと、楽しく「英語」を使う練習をし、社会性や協調性を身につける場ではないかと考えています。私も含めた学部三年生にとっては幹部学年としての最後の行事で、募る想いもありながらも最後の行事を楽しめるよう長い期間を掛け準備し、盛大に楽しみました。



 今年のITC全体のテーマはThe state-of-the-art of active learningと決め、それぞれのアクティビティが最新鋭のアイデアを以て、参加者の意欲を引き立て、楽しくかつ積極的に英語を使える場を提供しよう、というものにしました。約二年も関わりを持った二、三年生が集まってアイデアを出し合うと、画期的なアイデアが数多く生み出され、参加者だけでなく企画する側も楽しく参加できる合宿となりました。アクティブラーニングの風潮が高まっている現状の教育を顧みても、この合宿ほどアクティブラーニングを成功させているものはないのではないか、と思います。

 そして、もう一つ私はチーフとして、一つ目標に掲げていたものがあります。去年は一参加者としてITCに参加したわけですが、今年は企画者として、チーフとしてこのITCに臨みました。私は教英の三年生の中でも、さほど英語ができる方でもなく、集団を前に適切な英語で指示したり、前に立って話したりする必要があるITCもチーフを任せても大丈夫なのかという不安が周囲にはあったのではないかと思います(実際に自分でも不安でした(笑))。ですが、こんな自分だからこそ後輩たちに教えられるものがあるのではないかと思い、チーフを志願しました。



経験上、下級生、特に一年生はこのITCという行事に対して不安感というものを知らず知らずのうちに感じてしまいます。その不安感から無口になったり、自分を表現することを恥ずかしがったりしてしまう、というようなことが起きてしまいます。そのような事態を避けるべく、私はチーフとして、「ファーストペンギンになる」という目標を掲げました。教英の中では英語がそこまでできない私が先頭に立って、時には間違った英語を話しながらも英語を使うことを楽しみ、積極的に活動に取り組む姿を見せれば、後輩たちのそういった不安を取り除けるのではないかと思ったからです。

 「失敗から学ぶことはたくさんあるし、記憶に残る」と、開会式の際に柳瀬先生が私の背中を押してくれたこともあり、後輩たちは先輩たちの支援を受けながらも、たくさん失敗をしながらも積極的にこの行事に取り組んでくれたように思います。

行事の最後に渡された色紙に書かれてあった後輩たちからのそれぞれのメッセージを読んでいると、初めは縮こまっていた一年生が「楽しかった」「悔しかった」「まだまだだなと思った」などという感想を記してくれ、また二年生からは、ITCを通して来年を見据えた感想やコメントを記してくれました。一年生も二年生も感じたものは違えども、幹部学年の色が最大限に出たこの集大成の行事を通して、何かを吸収して帰って行ってくれたのではないかと都合よく解釈しています(笑)。





 準備、本番ともに沢山苦労しましたが、こんな無鉄砲で要領が良くないチーフであってもITCをやり遂げることができたのは、沢山の人々の支えのお陰です。私達を激励し実際に現地まで足を運んでくださった教授の方々を始め、暖かく見守ってくださり、沢山助言をしてくださった先輩方、支えてくれた同学年の仲間、一緒にスタッフとして動いてくれた二年生、一生懸命に参加してくれた一年生と、このITCに関わってくれたすべての人に感謝でいっぱいです。

特に、大して英語ができないのにも関わらずITCのチーフをやりたい、という私のわがままを承認し、支えてくれた同学年の皆には本当に感謝しています。集団の中で、トップに立って指揮するという経験を、教英という素晴らしい集団の中でできたことは私の今後の人生にとっての大きな功績になると確信しています。もうじき学年が一つずつ上がり、私達三年生はそれぞれの夢に向かって性根を入れて動き初め、教英行事に関わることも少なくなっていくわけですが、これからの後輩の活躍を願い、新歓合宿やITCにも顔を出しに行けたらと思っています。




 勝手ながらこの場を借りてもう一度、ITCに関わってくれた方々に感謝の言葉を述べて、感想文の終わりとしたいと思います。本当に有難うございました。




 つたない感想文でしたが、最後までご精読有難うございました。



2017/03/01

実践的な研究をした院生二人の発表会


以下は、教職高度化プログラムを担当した樫葉みつ子先生による文章です。

下にも書かれていますように、この教職高度化プログラムは、平成28年度から教英から独立し教職大学院へと組織改組されました。

こういったことも含めて、大学院進学の際は、自分が希望する学びができるかどうかを確かめるため、ぜひ事前に自分が指導を希望する教員と連絡をとってください。


広大教英ホームページ:スタッフ紹介
http://home.hiroshima-u.ac.jp/delce/staff/ono.html


*****



2月14日(火)に教職高度化プログラムの久万瑞帆さんと吉田来依可さんの「課題解決セミナー(Ⅱ)発表会」が行われました。内容は、公立学校でのアクション・リサーチの研究発表です。本年度は、二人とも東広島市内の中学校を実習の場として提供してもらい、生徒や学校の課題から研究テーマを設定して取り組みました。

 久万さんは、「書くことへの意欲を高める中学校英語科授業の開発」をテーマとしました。発表の概要は、グループ活動によって学習への参加を促し、創造的な面白さのある学習課題に従事させることよって学習意欲を高めることをねらった結果、生徒の書くことへの意欲を高めることに効果があったというものでした。



吉田さんは、「中学校英語科におけるまとまりのある説明文を書く力を育成する指導法の開発―思考を伴う学習活動を通じて―」をテーマに、「分類」「整理」といった思考スキルを「思考ツール」で可視化して用いさせることや、わかりやすい説明になる順番を考えさせることを試みました。その指導を通じて、生徒はまとまりのある説明文を書くことができ、また、中には自分の思考をメタ認知するようになった生徒もおりました。




生徒指導や、国の施策という重要な課題に取り組み、久万さんも吉田さんも、学校現場で必要とされる、研究的資質を高め実践力を身につけました。ご指導ご支援くださった、関係諸機関、実習校の教職員の皆様や生徒さんたちに、心より感謝申し上げます。

平成28年度の修了生を最後に、さらなる発展を目指して、教職高度化プログラムの理念と成果は、教職大学院に継承されることになりました。この8年間に英語教育学講座が輩出し教員として活躍されている総勢17名の修了生の皆様の、今後ますますのご活躍を祈念しております。

(文責:樫葉みつ子)



「公開ワークショップとシンポジウム:英語教育の身体性」の参加者の振り返り

5/20(土)に小口真澄先生( 英語芸術学校マーブルズ 主宰・代表講師)をお呼びして開催した「公開ワークショップとシンポジウム:英語教育の身体性」は大成功でした。関係者を除いても65名(注)の参加者が、さまざまなことを感じ、考えさせられた企画になったのではないかと自負していま...