2017/04/17

教英新入生の意気込み



以下は、学部新入生対象の「教養ゼミ」で私が話した際の学生さんの感想の一部です。私は以下のような趣旨で、90分間「学生時代の落とし穴」という題でお話をしました。


教英入学式での挨拶


下の文章を見てもわかるように教英生といってもいろんな個性があります。そんな新入生がこれからの4年間で、ますます自分自身を見出し、しっかりと自分自身のことばを身につけてほしいと切に願っています。






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■ 今日の授業を受けて一番強く感じたのが、夢へ向かって歩む道のりで感じる不安な気持ちに、特効薬はない、ということです。

これをすれば大丈夫、これさえ出来れば過程段階で手を抜いても良い、などという保証はどこにも無く、今までもきっとそうだったのだと思いますが、大学生活では特に一人一人に、自己の行動に対する責任がのしかかってくるのだと感じました。少しマイナスにも聞こえる表現を使いましたが、裏を返せば、目標までの過程で何をしても良い、自分の好きなことをとことん突き詰める自由が与えられているということでもあります。

今日の授業で先生もおっしゃっていましたが、高校まではどことなく、先生が描く理想の答えのようなものがありそれを察しその通りに行動するよう求められていました。この雰囲気の中で、全体に共通する社会規範が自分に叩き込まれ、基礎として私の中に残り、コミュニティにおけるあるべき姿としての人格が、1つのパターンとして形成されたと思うので、この風潮が悪いものであるとは思いません。しかし、その流れの中で、自分の好きなこと、したいことを見失ってしまったのも事実です。私は、英語教員、という一つのゴールを見据えて、受験生の時間を過ごし、広島大学に入学しました。英語が好きで、教師という職業にずっと憧れを抱き続けていました。いざ教師という夢の第一歩である教育学部に進学し、学びたいことを自分で選択できるようになると、ゴールに至るまでの過程段階で何を積み重ねたいのかが思い浮かばない自分がいました。その時に初めて、大学生活の難しさのようなものを突き付けられた気がしました。

自由が与えられている、これはその自由を行使する権利があるのと同時に、自分で選択する、いやそれよりも前に、選択肢を自らに提示する義務があるということです。もし、自分なんて~~だからこんなこと出来ない、と思うのであれば、~~の部分を自らで変えなければならないし、周りが〇〇だから、という場合は〇〇であったとしても可能な選択肢を増やさなくてはならない。どんな要因も言い訳にはならないことを強く実感しています。

 冒頭で触れた不安な気持ち、を軽くするにはどうすればよいのか、この答えはまだ導き出せていません。しかし少なくとも不安な気持ちを持つ自分から逃げて楽に走ろうとは思っていません。不安を抱える今の自分と向き合うための意志を確立するきっかけとなった授業だったと思います。

 広島大学で、教英で過ごすこれからの時間の中で、多くのこと・もの・ひとと主体的に関わり、「生きる力」を身につけ、将来の生徒に伝えていけるよう、精進します。




■ 授業の感想というよりは、自分の中で先生のお話を反芻して考えたことを記す形になると思います。

 まず、大学では、とにかく自分で考えて、すすんで動くことが大切なのだと改めて感じました。これまで私は、先生がおっしゃることにそのまま従うだけで、自分なりの意見を持とうとしてきませんでした。ですから、大学に入って、自分で時間割をつくるというのでさえ非常に戸惑いました。履修登録の時には、何もかも決めてくれる人がいたらどんなに楽だろう、と何度も思ってしまいました。しかし、全ての行動や判断を他人に委ねてしまっている限り、私は「お子ちゃま」なままだ!と気づくことができました。

今まで自分で考えることを放棄してきた代償として、私は自分が本当にしたいことが何なのかを見失っています。自分に素直になれ、と言われても、素直な自分とは何なのか?と思ってしまいます。ですから、大学ではすすんで人と関わり、その方々と話をする中で、素直な自分の感情を取り戻したいと考えています。そして、誰かにただついて行くのではなく、自分なりの意見を持てるようになりたいです。

このことと関連するのですが、これまでの私は、先生のお話にもあった「優等生」キャラだったように思います。まわりの人に優等生と言われることで、自分の価値を見いだしてきました。しかし、大学生になって、優等生という肩書きにすがる生き方が、いかに空しいものだったのかを痛感しています。例えば、新歓で同級生や先輩方と楽しくお話したかったのに、思うようにコミュニケーションがとれなかった時。自分の殻に閉じこもって、人付き合いが下手な私・・・と悔しい思いをしました。成績より大切なものは、いくらでもあると目が覚めた出来事の一つです。新しい環境では、これまで私は優等生をしていた、などのことは全く意味を持たないから、自分で自分の強みを探さないと!と思いました。

また、私は周囲の大人からの「優等生」という評価に依存し、何度も苦しい目に遭ったので、私が大人(先生)になった時には、周囲の人(生徒)を型にはめるのではなく、その人をしっかり見つめようと思いました。

次に、教職についてのお話を聴いて、自分の将来を真剣に考えねばと思いました。なぜなら、私は少々ゆがんだ理由で教師になろうとしていたからです。最近、純粋に教師を志している教英の人と話をしては、自分の不純さや周囲との温度差を感じて苦しい思いをしています。私は教師を目指してもよいのか、としょっちゅう悩んでいます。そんな時に先生のお話を聴いたので、正直耳を塞ぎたくなりました。しかし、いつか決断しなければならない時は来るので、そのための判断材料としてのお話が聴けてよかったです。教師を目指すかどうか、すぐには決められません。今のところ私にとっての最大の課題であり、まだまだ悩む予定です。

また、先生は時間の大切さについてもお話されたと思いますが、私も今、時間の大切さを実感しています。一人暮らしを始めて、家事に時間をいっぱいとられるようになり、自分が好きに過ごせる時間が激減しました。SNSのアプリばかり開いてボーッとしている時間がもったいないと思うようになりました。先生がお話されたことと趣旨はズレているかもしれませんが、自分なりに時間の大切さを理解しました。それと同時に、限りある時間を自分磨きなどの、自分で納得できるものに使いたいと思いました。ですので、たとえどれほどお金を積まれても、私は自分の時間を売ることはないと思います。

最後に、私は大学で本当に自分のやりたいことを見つけ、人と比べるばかりの生き方から脱却したいです。そして、授業料以上のものを授業で身につけ、将来は、今までたくさんの方々が自分に注いでくれた愛情を、今度は私が関わる人々に還元したいと考えています。そのために、これからしっかり学び、さまざまなことを経験したいです。



■ 正直、先生のお話を聞いて不安感を覚えました。なぜなら僕は中、高校生のときから人よりも英語が得意であることに自信を覚え傲っていたからです。そして英語ができればそれでいいと考え、満足していたからです。英語が十分に話せても、文法を熟知していても、それでは教師として立派であるとはいえないのだと気づきました。同時に、僕は深みのある人間になりたいと強く思いました。含蓄のある話がしたいと考えました。

そのためにはまず大学で多くを学び経験しようと思います。最低限の単位を取って卒業するのではなく、さまざまな分野の授業を慎重に組み合わせて受け、幅広く確かな知識を身に付けようと思います。ここで気を付けるべきは、ただ授業を受けに行くのではなく主体的に取り組むということです。たとえばペアワークにおいては自らの考えをハッキリと述べようと思います。もしつまらない授業が有ったのなら、なぜその授業がつまらないのか自分なりに分析するなど、時間を最大限有効利用しようと思います。

先生のお話は春休みで弛みきった姿勢を正し、緊張感を取り戻す良いきっかけとなりました。今後の大学生活をより実りあるものにするために自分にできること、必要なことを考えながら日々を過ごしていきます。



■ 今日は教養ゼミでお話をしてくださり、ありがとうございました。自分がやるべきこと、気をつけなければならないこと、そして何より自分の現状を考えるとてもいい機会になりました。

先生の話を聞いてまず、自分は両親からの多大な期待をうけて大学に行かせてもらっているんだと再確認し、その期待に最大限応えるべく、また自分の夢を叶えるためによく遊びよく学ぼうと強く思いました。図書館などの学内施設を十分に活用し、授業以外の場での勉強を充実させたいと思います。

次に”私からすれば気になる学生さんの言葉”の08で話された、「薄っぺらい英語をぺらぺら話すより本を読みなさい。」という話が自分には強く響きました。自分は9ヶ月の留学を経験しました。しかし9ヶ月で学んだことは主に話し言葉で、学術的な話を自分の言葉でするというのは未だに難しいです。なので先生がその話をされた時に自分の中のどこかにあった「自分は留学したのだから...」という甘えや傲りに気づき、英語教師になるにはもう一段階上のレベルの英語を扱えるようにならないといけないと思いました。そのために邦書、洋書を問わずに本を読み、様々な知識を蓄える必要があると感じました。

自分はまだ英語教育自体に対しての知識は乏しいですが、これから授業や本から知識をどんどん吸収して、もっと先生の専門のお話をくわしく聞けたらと思っています。また、在学中に行き詰ることがあれば相談にのっていただけたらと思っています。これからよろしくお願いします。




■ 私は合格発表が出たとき、自分はまぐれで大学に受かったのだと、本気で思っていました。

けれども、先日初めて教養ゼミという授業を受けて、私は広島大学入学した以上、この場で自分のゆき先を見つけ、この場で将来社会に出て、どうにか頑張っていくための生きる力をつけなければならないのだと思いました。

一番大事なのは、成績や地位ではなくて、社会でうまくやっていく力をつけることだ、私の父も私によく言います。

この授業で知った通り、大学の授業はたった一コマに大きな金額がかかっています。

勉強についていけるか少々不安な部分もありますが、私の大学の学費を支払ってくれている両親に感謝して、できる限り多くのものを一コマの中で得ることができるよう頑張りたいとおもいます。そして時間を大切にすること。

まだ始まったばかりの大学生活です。この4年間でもちろん教職の免許をとるという一つの目標があるのは当然ですが、免許を得ることだけ、ただそれだけばかりに目をむけるのでは無く、多くの人、本に触れて、英語だけじゃなくて、ほかにも’何か’を知っている先生となれるよう頑張りたいです。

教養、という言葉を聞くと、堅苦しいイメージがわきますが、この授業はとても楽しかったです。今後4年間、忘れてはならないことを知ることができたと思っています、そして4年間忘れないように頑張ります。




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