2017/03/22

フィリピンの言語教育から見る日本英語教育の未来


以下はフィリピン大学ディリマン校へ約1年間留学した経験をもつ学部生のYK君が書いてくれたレポートです。フィリピンの言語教育の現状から、日本の英語教育(過剰な英語志向)について考えようとしたものです。

フィリピンでは、多くの人々にとっての「母語」(現地語)は学術活動や経済活動や政治活動などを担えるだけの「力」をもっていないので、「国語」としてフィリピン語が教えられると同時に「公用語」として英語が教えられています。ですが、言語のもつ「力」としては「国語」としてのフィリピン語よりも「公用語」としての英語の方が圧倒的に強いようです(あるいはそうならざるを得ないような歴史をフィリピンは有しているというべきでしょうか)。

そんなフィリピンの状況から今後の日本の英語教育がとりうるかもしれない一つの可能性について考えた文章です。「一概にフィリピンがこうだから日本もこうなる!とは言えません」というのはYK君が言うとおりですが、英語教育熱について考えるための一つの視点を提供する文章として読めば面白いのではないでしょうか。

以下、「母語」(200近くの現地語、あるいは家庭内で使われている言語)、「国語」(フィリピン語)、「公用語」(英語)の違いを頭に入れた上でお読みいただければと思います。

なお、下の文章には趣旨を変えない微細な字句修正を私が若干していることを申し添えておきます。




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フィリピンの言語教育から見る日本英語教育の未来


0. はじめに

 「コミュニケーション能力と英語教育」最終提出課題は,今までの授業で習ったことの総復習として行うのが主な目的であるが,今回は範囲を絞り,特に授業終盤で取り扱っていた母国語と英語教育の関係に焦点を当てていく。フィリピン大学ディリマン校へ約1年間留学し,今の日本の英語教育の方向と過去のフィリピンで行われてきていた英語教育の趨勢との相似点がたくさん見られることに気づいた。そこで,この課題ではフィリピンで行われてきた言語教育について紹介し,日本の英語教育との相似点・相違点などを踏まえて今後の英語教育はどうなっていくのかについて考察する。


1. フィリピンの言語教育

 フィリピンの歴史はそのほとんどが植民地支配の歴史といっても過言ではありません。今のフィリピンの中高生の歴史の授業では,なんと16世紀ごろから学び始めるとのことで,つまりそれはマゼラン率いるスペイン船団が最初にフィリピンを訪れてから始まったスペインによる植民地支配の時代からの歴史です。実際に,私がフィリピン教育についての授業を受け,グループごとにその当時の教育制度について発表するものがあったのですが,そこでは「植民地化以前」「スペイン統治時代」「アメリカ統治時代」「日本統治時代」「戦後」というふうな別れ方でした。(ちなみに,日本統治下時代が最悪だったとはっきりと言われてしまいました笑)

 さて,英語教育に話を戻すと,フィリピンで英語教育が本格的に始まったのは19世紀末からのアメリカによる植民地支配です。その時代から首都マニラで主に使われていたタガログを基礎とするフィリピン語を「国語」とし,英語は「公用語」であったのですが,200近くの言語が存在すると言われる国ですので,英語はおろか国語であるフィリピン語すらもまともに話せない国民がいました。その頃から行われていた言語教育は”BEP –Bilingual Education Policy-”と言われるものであり,国語であるフィリピン語と公用語の英語の習得を最大目標にした教育が行われていました。たとえ英語やフィリピン語が母語でなくとも,小学校に入れば学校で母語を使うことはほとんどなく,理系の授業は英語,文系の授業はフィリピン語というような使い分けをしながら全ての授業を母語以外で受けなければいけません。そのような環境での言語教育が長らく行われてきたために,現在のフィリピンでは多くの国民がフィリピン語と英語,そしてそれに加えて母語の3ヶ国語を話すことができます。特に多くの国民が英語を話せるというのは非常に大きな利益であり,多くの国民が英語教師やハウスキーピング,看護師として海外で働いています。驚くことに,海外で働くフィリピン人の家族への仕送りがGDPの約10%をもしめるということで,一見この国の言語教育は大成功を納めているようにも思えます。

 しかし,実情を見てみると,このBEPによって多くの若い学生たちが苦しむことになってしまっていることがわかりました。前述の通り,小学校から(早い所では幼稚園の時から)母語ではなく英語もしくはフィリピン語で授業を行なっているために,当然言語的な問題により授業についていけないという生徒が出てきます。私がフィリピンの教育に関する授業で見た「教育現場の実情を伝えたDVD」によると,小学生の約10パーセントが英語がわからないせいで授業を受けることが困難になっています。そして,35パーセントの生徒しか12歳で小学校課程を終えることができていないのです。日本でも「英語格差」という言葉は時々言われますが,この国で英語ができるかどうかは義務教育を終えることができるかというとても根本的なことにまで影響してしまうのです。英語格差は教育現場だけではありません。映画館ではフィリピン語による字幕や吹き替えの映画などは少なく,ハリウッド映画はそのまま字幕なしで見なければいけませんし,多くの書籍も海外からそのまま輸入しているので英語です。富裕層の間では子供に何よりも英語力をつけさせるために,家庭内言語は英語にし,幼い頃から英語のテレビ番組などしか見せていません。結果として,この国ではその地域で主に使われている現地語が母語である子供と,英語が(家庭内の)母語である子供というふうに分かれてしまいました。フィリピン国内では「英語ができるかどうか」ということが明確に社会的地位を分けてしまっています。

 もう一つ大きな問題があります。私が向こうの大学で出会った社会学専攻の学生がこのバイリンガル教育で何よりも悪影響があるとしていることは,「国語の衰退」でした。一度この授業の予習か振り返りで書いたことですが,彼らは国語で学問的な内容を取り扱うことができません。フィリピン大学という国内ナンバーワンの大学に在籍している学生たちであっても,90分の講義を全てフィリピン語(もしくは彼らの別の母語)で受講することができるかと問うと絶対にできないといいます。大学の教授に同じような質問をしても,やはり英語でほとんどの学問を修めてきたので国語で授業はできないそうです。論文を国語で書かなければいけない時があって,その時は一度英語で書いてしまってからそれをなんとかフィリピン語に直すというような手法をとっていました。明らかに私たちの国語である日本語と彼らの国語の立ち位置というものは全く違っています。私にとっては英語を習得させることに躍起になりすぎると不利益の方が大きくなってしまうように思われました。

 その言語教育もここ数年で変わろうとしていました。それが,”MTB-MLE -Mother Tongue Based Multilingual Education-”といわれるものです。「母語での学習を大事に」という目標を掲げたこの教育計画では,まず小学校2年生までは全ての授業を母語で行い,同時にフィリピン語と英語も母語で習い始めます。そして小学3年生からはこれまで通り理系は英語,文系の授業をフィリピン語で学習していきます。もちろんこれでも日本の教育と比べると国語の存在は薄いものですが,国語で書かれた教科書を用意するのに多大な努力を要すること,そもそもフィリピンの諸言語には学問的な語彙が不足していること(国語であるフィリピン語にも光合成という言葉は存在しません)などを踏まえると大きな改革であります。まずは母語で考える力をつけてから,第2,第3言語を習得していくというスタンスになってからまだ数年も経っていないので,どのような成果が上がるのかはわかりませんが,以上がフィリピンの言語教育の現状でした。


2. 日本の英語教育との相似点
 
  今まで書いてきたようなフィリピンの言語教育と日本の英語教育とで似通った箇所がいくつかあったように思います。

 まず,どちらも実用的な英語の習得を最大の目標としている点です。例えば,私たちが大学1年生の間に学んだ第2外国語の主な目的がその言語を使えるようになるためだったのかといえば決してそうではなかったはずです。どちらかというと教養として学んでおくべき,というような教養的側面が強かったように思います。それに対して,今の日本の英語教育の目標を見ると,多くの場面で「コミュニケーション能力」と言った言葉が使われており,教養的な側面よりも実用的な,「頼むからみんな英語が喋れるようになってくれ・・・!」というようなことが感じ取られます。これは前述の通りフィリピンでの言語教育でもそうで,「英語が話せる国民が増えること=海外で働ける人材の増加→国の収益の増加」という考えがあります。

 次に,外国語である英語を他教科の授業に取り入れる点です。フィリピンでは英語が外国語でなくなってからしばらく時間が経ちますが,日本でも他教科を英語で教える取り組みが行われようとしていることを考えると,両者の共通点とすることができます。


3. 日本の英語教育との相違点

 両者を比較してみる場合,いくつか留意しておかなければいけない相違点があります。

 第一に,両者の英語教育の始まりを見てみると,日本は長い鎖国の後に外国船との交流を通じて英語学習の必要性を感じ始めたのが始まりです。一方でフィリピンでは,スペインによる長い植民地支配が終わったかと思えば,今度はアメリカによる植民地支配が始まり,英語を話せなければいけない状況に陥ったことが英語学習の始まりです。「英語を話さなければいけない」という必要性に関して両者で全く異なります。

 また,日本は日本語話者が大多数を占めますが,フィリピンは多数の民族・言語から成り立つ多民族国家です。その点においても共通言語としての英語(またはフィリピン語)の必要性というものは日本とは変わってきます。


4. 今後の日本の英語教育についての考察

 フィリピンの言語教育について軽く紹介し,日本の英語教育との相似点・相違点をいくつか挙げたことを踏まえて,今後の日本の英語教育がどういったものになっていくのかについて私が考えたことを書いていきます。

 留学中,フィリピンの言語教育を見てきてずっと頭の中に残っていたことは,「もしかすると日本はフィリピンの英語教育の道を辿り始めたのではないか」ということです。現在の日本では,生徒が英語を話せるようになることを最大の目標として掲げているように感じます。国際競争の中で英語が得意な国と苦手な国では大きな差が生まれてしまいますし,私自身も英語を話せるようになることはたくさんの利益があって素晴らしいことだと考えています。しかし,今の英語教育の方向性を見てみると,できるだけ学校現場で英語に触れる機会を多くすることに力が注がれているのではないでしょうか。早ければ幼稚園の段階から英語に触れさせる機会を作っていき,小学校では算数や理科などの教科も英語で教えられるようになり,とにかく英語を中心とした教育が望まれているとするならば,それは今までフィリピンで行われてきた言語教育に近いものになっていくような気がしてなりません。

 少し大げさなのかもしれませんが,このままではフィリピンのように英語で義務教育の全てを行い,英語ができる生徒がいわゆる「勝ち組」で,英語ができなければ数学など他の教科の授業すらも理解できないような事態になってしまうのではないでしょうか。また,英語は達者に話せるんだけれども,母国語であるはずの日本語でまともに読み書きができないような生徒が生まれてしまうかもしれません。この授業の最後に先生が「母国語ではない言語でなされる教育は,知的な格差を生み出してしまう。母国語で考え,学ぶことができなくなることは,英語を使うことができる生徒を生み出すことの利点以上に大きな損害をもたらしてしまう」というようなことをおっしゃっていましたが,私は留学中に実際にそのような状況に陥ってしまっているフィリピンの教育を見て,日本ではそうなってはいけないと考えてきていましたので,全身を使ってうなずきたくなるくらい同意しながら聞いていました。

 もちろんすでに書いた通り,日本とフィリピンという国は全く異なる文化的,歴史的背景を持っており,一概にフィリピンがこうだから日本もこうなる!とは言えません。ですが,フィリピンという国での言語教育の経緯から,日本の英語教育が学ぶべきことはあるはずです。英語「で」教育をしていこうという取り組みから,母国語で思考することができる素地をまずは育てようという教育方針に変えた国があるのならば,今,強力な母国語を持っているこの国がその母国語の価値を薄めてまで英語を学ばせなければいけないのかというと,少し疑問があります。英語教師を目指すものとして,英語を教えるのだからこそ日本語という母語を大切にしなければいけないと強く感じました。





2017/03/17

「予習を求めず、教科書を易しく書き換え、生徒に考えさせる」 -- 新卒一年目の高校教師の実践


 以下は、新卒で高等学校での勤務を始めたのOH先生が、OBも参加するゼミ合宿で発表してくれた最初の一年間の実践の振り返りです。

  いきなり親バカ的コメントで恐縮ですが、一年目でこれだけの実践ができて、なおかつ(こちらの方が重要だと私は思っているのですが)彼自身が幸せな毎日を送っているというのはすばらしいことだと思います。

 教職に興味をお持ちのかた、ぜひお読み下さい。



ゼミ合宿で発表するOH先生

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 こんにちは。私は、昨年度教英を卒業し、X県の公立高等学校に勤務しているOHと申します。X県の高等学校で働き始めて約一年が経過しました。今日は、僭越ながらこの一年間の私の授業実践を紹介させていただきたいと思います。私自身教員一年目で、初任者として至らない点が多く、学ばなければならないことが多い立場ですが、私の授業実践が一人でも多くの方のお役に立つことができれば、とても嬉しく思います。

  私が現在主に受け持っている生徒は、特別進学コースという、大学進学を目指した授業が行われるコースの生徒です。特別進学コースは、高校入学時に、希望した生徒が入ることのできるコースなので、学習規律は整っており、授業だけでなく、予習や復習にも一生懸命に取り組むことができる生徒です。しかし、特別進学コースといえども、学力差はかなりあるため、一生懸命に学習に取り組むけれども、なかなか頑張りが結果として現れないという状況があります。この状況を少しでも改善するために、一年間、生徒の学習状況を踏まえた上で、自分なりの授業実践を重ねてきました。

  まず、生徒の学習状況についてですが、生徒を観察すると、学習状況にある特徴があることが分かりました。それは、一生懸命に頑張る生徒ほど予習に時間をかけ、予習や授業中に、単語の意味を調べるためによく辞書を引くというものです。このような特徴を持つ生徒の英語力について、前任の先生に尋ねると、確かに頑張り屋さんが多いけどとにかく英語が読めない、ということを言われました。このことを踏まえ、私は「生徒に、教科書の英文と格闘し、とにかく自力で英語を読ませること」という目標を立てました。

 生徒が自力で教科書の英文を読むことができるようになるために、以下の三つのことを実践しました。

 一つ目は、生徒に予習を求めませんでした。大きな理由は、予習をさせると、英文の意味を考えることなく、未知の単語に出くわす度に、辞書を引いて意味をノートに書くという、極めて機械的な作業に終始してしまうからです。このように、予習をして授業に臨もうとする態度自体はきちんと評価されるべきですが、このような機械的な予習すると、英語の勉強をした気になって終わってしまっているのではないか、という仮説を私は持っています。機械的な英語学習を繰り返すだけで、果たして、英語に対する知的好奇心が刺激されたり、英語の実力がついたという実感が湧いたりするのだろうか、という疑問を持っています。また、機械的に辞書を引く習慣をつけると、この単語はこのような意外な意味があったのか、といった感動は生まれにくいのではないでしょうか。もちろん、辞書を引くこと自体は否定されるべきではないと思います。似たような意味を持つ単語の些細な違いを調べたり、語法を調べたりするといった辞書指導を行っているのであれば、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし、今年度は辞書指導ができなかったため、作業として辞書を引くことを避けるために、予習は求めないこととしました。

 二つ目は、教科書改作を行いました。具体的には、教科書の英文の中で生徒の語彙レベルよりもはるかに高いと思われる語があれば、易しめの類義語で言い換えました。生徒が英文を読む様子を見ていると、分からない単語に出くわすとそこで考え込んでしまい、なかなか読み進められないことが分かりました。いずれは未知語を推測させる指導も必要になると思いますが、今は自力で英文を読み通すことに重点を置くことを目指しているため、語彙レベルの配慮を行いました。また、具体例がふんだんに交えられていてパッセージが長いと感じた時は、具体例の一部を削除し、文章の論理構成が保たれる程度に改作を行いました。これは、「これぐらいなら読めそうだ」というやる気を維持させることと、文章を丁寧に読ませることを目指して行いました。

 三つ目は、教科書改作と少し関連しているのですが、教科書の本文すべてを用いずに指導を行いました。’However’という語があり、その後の大まかな内容が予測可能な題材を用い、その内容を日本語書かせるというタスクを行いました。生徒には、’However’以後の英文を空欄にしたワークシートを配布し、’However’の前後では内容のイメージが真逆になるということを意識させながら、ワークシートに日本語で記入させました。

 以上の三つことを実践した結果、自力で英文を読もうとする生徒が年度当初と比べると増え、英文を何度も読みながら自力で考えることができる生徒も増えたように感じています。ここまで私の一年間の実践を紹介させていただきました。私の実践が直接役に立つものかどうかは分かりませんが、読者の皆様に何らかの示唆を与えることができれば大変嬉しく思います。読んでいただきありがとうございました。



ゼミ合宿の一環として錦帯橋にも行きました

2017/03/08

2017年第41回ITCを通しての感想


以下は、学部生主宰の英語合宿  (ITC) のチーフをやってくれたS君の感想です。S君、原稿をありがとうございました。

ちなみに下にある "first penguin"とは、水に最初に飛び込むペンギンのことで、果敢にリスクを取る人のメタファーとなっています(参考 http://www.cmu.edu/randyslecture/honor/)。 

40年間の伝統にあぐらをかくことなく、毎年毎年この行事を進化させてくれている学生さんたちを教員としては本当に誇りに思っています。




他の教員と共に、管理人も合宿の一部に参加しました。




加えて管理人は合宿の様子を約350枚の写真に収めました。

今回、その写真を整理しながら学生の皆さんの笑顔を見ていて、カメラマン役をできる教員って幸せだなと改めて思いました。

それではS君の感想をどうぞ。





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一年間の様々な教英行事の中でも一、二を争うほどの最大行事であるITC(Intensive Training Course)を今年も1月半ばに開催しました。ITCとは簡単に言うと、日本語禁止、All in Englishで三日間を過ごすキャンプです。教英の一〜三年生で行うもので、二、三年生が劇やロールプレイング、ディベートなどの8つのアクティビティを分担して企画し、それらのアクティビティを通して英語を使うことの楽しさを学び、英語を体験的に学習するという楽しい合宿です。

私が考えるところのITCは、同じ志を持つ仲間たちと、楽しく「英語」を使う練習をし、社会性や協調性を身につける場ではないかと考えています。私も含めた学部三年生にとっては幹部学年としての最後の行事で、募る想いもありながらも最後の行事を楽しめるよう長い期間を掛け準備し、盛大に楽しみました。



 今年のITC全体のテーマはThe state-of-the-art of active learningと決め、それぞれのアクティビティが最新鋭のアイデアを以て、参加者の意欲を引き立て、楽しくかつ積極的に英語を使える場を提供しよう、というものにしました。約二年も関わりを持った二、三年生が集まってアイデアを出し合うと、画期的なアイデアが数多く生み出され、参加者だけでなく企画する側も楽しく参加できる合宿となりました。アクティブラーニングの風潮が高まっている現状の教育を顧みても、この合宿ほどアクティブラーニングを成功させているものはないのではないか、と思います。

 そして、もう一つ私はチーフとして、一つ目標に掲げていたものがあります。去年は一参加者としてITCに参加したわけですが、今年は企画者として、チーフとしてこのITCに臨みました。私は教英の三年生の中でも、さほど英語ができる方でもなく、集団を前に適切な英語で指示したり、前に立って話したりする必要があるITCもチーフを任せても大丈夫なのかという不安が周囲にはあったのではないかと思います(実際に自分でも不安でした(笑))。ですが、こんな自分だからこそ後輩たちに教えられるものがあるのではないかと思い、チーフを志願しました。



経験上、下級生、特に一年生はこのITCという行事に対して不安感というものを知らず知らずのうちに感じてしまいます。その不安感から無口になったり、自分を表現することを恥ずかしがったりしてしまう、というようなことが起きてしまいます。そのような事態を避けるべく、私はチーフとして、「ファーストペンギンになる」という目標を掲げました。教英の中では英語がそこまでできない私が先頭に立って、時には間違った英語を話しながらも英語を使うことを楽しみ、積極的に活動に取り組む姿を見せれば、後輩たちのそういった不安を取り除けるのではないかと思ったからです。

 「失敗から学ぶことはたくさんあるし、記憶に残る」と、開会式の際に柳瀬先生が私の背中を押してくれたこともあり、後輩たちは先輩たちの支援を受けながらも、たくさん失敗をしながらも積極的にこの行事に取り組んでくれたように思います。

行事の最後に渡された色紙に書かれてあった後輩たちからのそれぞれのメッセージを読んでいると、初めは縮こまっていた一年生が「楽しかった」「悔しかった」「まだまだだなと思った」などという感想を記してくれ、また二年生からは、ITCを通して来年を見据えた感想やコメントを記してくれました。一年生も二年生も感じたものは違えども、幹部学年の色が最大限に出たこの集大成の行事を通して、何かを吸収して帰って行ってくれたのではないかと都合よく解釈しています(笑)。





 準備、本番ともに沢山苦労しましたが、こんな無鉄砲で要領が良くないチーフであってもITCをやり遂げることができたのは、沢山の人々の支えのお陰です。私達を激励し実際に現地まで足を運んでくださった教授の方々を始め、暖かく見守ってくださり、沢山助言をしてくださった先輩方、支えてくれた同学年の仲間、一緒にスタッフとして動いてくれた二年生、一生懸命に参加してくれた一年生と、このITCに関わってくれたすべての人に感謝でいっぱいです。

特に、大して英語ができないのにも関わらずITCのチーフをやりたい、という私のわがままを承認し、支えてくれた同学年の皆には本当に感謝しています。集団の中で、トップに立って指揮するという経験を、教英という素晴らしい集団の中でできたことは私の今後の人生にとっての大きな功績になると確信しています。もうじき学年が一つずつ上がり、私達三年生はそれぞれの夢に向かって性根を入れて動き初め、教英行事に関わることも少なくなっていくわけですが、これからの後輩の活躍を願い、新歓合宿やITCにも顔を出しに行けたらと思っています。




 勝手ながらこの場を借りてもう一度、ITCに関わってくれた方々に感謝の言葉を述べて、感想文の終わりとしたいと思います。本当に有難うございました。




 つたない感想文でしたが、最後までご精読有難うございました。



2017/03/01

実践的な研究をした院生二人の発表会


以下は、教職高度化プログラムを担当した樫葉みつ子先生による文章です。

下にも書かれていますように、この教職高度化プログラムは、平成28年度から教英から独立し教職大学院へと組織改組されました。

こういったことも含めて、大学院進学の際は、自分が希望する学びができるかどうかを確かめるため、ぜひ事前に自分が指導を希望する教員と連絡をとってください。


広大教英ホームページ:スタッフ紹介
http://home.hiroshima-u.ac.jp/delce/staff/ono.html


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2月14日(火)に教職高度化プログラムの久万瑞帆さんと吉田来依可さんの「課題解決セミナー(Ⅱ)発表会」が行われました。内容は、公立学校でのアクション・リサーチの研究発表です。本年度は、二人とも東広島市内の中学校を実習の場として提供してもらい、生徒や学校の課題から研究テーマを設定して取り組みました。

 久万さんは、「書くことへの意欲を高める中学校英語科授業の開発」をテーマとしました。発表の概要は、グループ活動によって学習への参加を促し、創造的な面白さのある学習課題に従事させることよって学習意欲を高めることをねらった結果、生徒の書くことへの意欲を高めることに効果があったというものでした。



吉田さんは、「中学校英語科におけるまとまりのある説明文を書く力を育成する指導法の開発―思考を伴う学習活動を通じて―」をテーマに、「分類」「整理」といった思考スキルを「思考ツール」で可視化して用いさせることや、わかりやすい説明になる順番を考えさせることを試みました。その指導を通じて、生徒はまとまりのある説明文を書くことができ、また、中には自分の思考をメタ認知するようになった生徒もおりました。




生徒指導や、国の施策という重要な課題に取り組み、久万さんも吉田さんも、学校現場で必要とされる、研究的資質を高め実践力を身につけました。ご指導ご支援くださった、関係諸機関、実習校の教職員の皆様や生徒さんたちに、心より感謝申し上げます。

平成28年度の修了生を最後に、さらなる発展を目指して、教職高度化プログラムの理念と成果は、教職大学院に継承されることになりました。この8年間に英語教育学講座が輩出し教員として活躍されている総勢17名の修了生の皆様の、今後ますますのご活躍を祈念しております。

(文責:樫葉みつ子)



2017/02/27

アメリカの交換留学の感想(ネバダ大学リノ校に行った修士課程1年生のA君の振り返り)


以下は、広大の留学プログラムを利用して、アメリカのネバダ大学リノ校に留学したA君の振り返りです。「自分のための分析になりますから」と言ってまとめてくれたA君に心から感謝します。A君、忙しい中、ありがとう。

留学を考えている皆さん、ぜひ以下をお読みください。




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 以前(8月)に,アメリカに交換留学に行くという記事を書かせていただきました,博士課程前期1年のAです。プログラムが終わり帰国したので,その振り返りを書くことで,自分自身の経験をもう一度思い起こすとともに,広島大学が提供する留学制度を通した経験を共有させていただきたいと思います。

 前回書いていなかったのですが,今回留学をした大学(ネバダ大学リノ校)に留学をするのは2回目になります。同じ大学に複数回留学することに決めた過程を,まず始めに書きます。その後,留学先での大学院生向けの授業,周辺施設や気候,実践したことや反省点をつづっていきます。



・2回目の留学

 前述したように,私にとって,留学をするのは今回が2回目でした。前回は,学部2年生の時に,同じ大学(ネバダ大学リノ校)に交換留学生として通っています。ただ,当時は正規の授業を履修できるだけの英語力がなかったため,IELC (=Intensive English Language Center)という,大学に附属の語学学校に1セメスター間(4か月間)通いました。(http://www.unr.edu/ielc

 IELCでは,語学学校ということもあり,「英語を学ぶ」ことに焦点を置いた日々を過ごしました。4か月間という滞在期間で,たくさんの友人と出会い,いろいろな国の人と英語でコミュニケーションをとるということの素晴らしさを体感することができました。その中で心残りがあったとすれば,「英語で学ぶ」経験があまりできなかったことと,英語で自分のことを話すことはできても,「論理的にかつ正確に」英語を扱うことがまだ十分ではなかったことがありました。

 大学院に進学が決まり,留学をする機会があると分かった時に,どこに留学をするかを考えました。まず,留学に際して条件の優先順位を付けましたが,私にとってはできるだけ卒業を伸ばさないことが上位にきました。そのため,1セメスターの大学間の交換留学を用いようと考えたのですが,それでも今回留学したネバダ大学リノ校以外にいくつかの選択肢がありました。

 ただ,1セメスターの留学を一度した経験上,4か月というのは思ったよりも短く,大学の制度に慣れたり,人間関係を形成したりで半分以上の時間が過ぎてしまうと感じていました。そこで前回留学したネバダ大学リノ校なら,その適応にあまり時間がかからず,充実した留学ができると考え,大学院生の交換留学生として留学をすることに決めました。もちろん,前回の留学で知り合った友人と再会したい,3年前の自分の英語力では伝えきれなかったことを話してみたい,という気持ちが強くあったことも事実です。

今年度から広島大学でターム制が導入されたことも追い風になりました。広島大学では,従来までの前期後期の2セメスター制から,今年度は第4タームに分けて授業が行われています。私がアメリカ留学から帰国したのは12月でしたが,帰国後第4タームで2つの授業を履修させていただくことができました。

参考までに…

留学の際の優先順位をつけることは,これから留学を考える人にも役に立つと思います。卒業を伸ばしたくないのでしたら,基本的には自分の所属する大学・学部が認める留学制度を用いて,留学期間が在学期間に含まれる留学をする必要があると思います。また,どのような留学制度であれ,留学の目的・期間・費用(予算)・地域・必要な語学能力等,考えていくと留学が具体的になっていきます。

ちなみに,ネバダ大学リノ校とその附属の語学学校での広大生の留学経験談は以下のURLより閲覧できます。





・授業と英語力

 ネバダ大学リノ校では,大学院の交換留学生として,TESOL (=Teaching English to Speakers of Other Languages) Certification Programの授業を履修させていただきました。履修した授業は,Language Acquisition, Methodology of Elementary English Language Learners, Second Language Assessmentの3つでした。いずれの授業にも,英語母語話者ではないの学生は数人いたものの,交換留学生は自分だけで,ほとんどが英語母語話者でした。英語で授業を受けるための準備をして臨んだつもりでしたが,英語母語話者との英語力の差を痛感する毎日でした。

 感覚的な表現で書くと,私の英語力を基準とすると,英語母語話者は「二段階上」の英語力を持っているように感じました。二段階というのは,英語をすぐに理解し自分の経験と結び付けるというインプットの段階と,その自分の経験と授業の流れを適切につかみ発言するというアウトプットの段階の2つをイメージしています。どちらも私の母語である日本語では,あまり意識せずにできる内容のように感じます。具体例を授業内の事例から書いていきます。

 授業では予習として,指定されたリーディングをこなし,そこから自分が考えたことを授業用のオンライン掲示板に書くことが求められました。私は時間をかけながらも(おそらくほかの学生の2倍の時間はかかったと思います)何とか読み終えて,そこから考えたことを自分の経験に結び付けながら書きました。ほかの学生の投稿は時間が足りず全てを読むことはできませんでした。授業の前に席についていると,授業前にある学生が私の投稿した内容についてコメントをくれました。私にとってはリーディング課題をして自分の投稿を書き終えることで大仕事なのに,ほかの学生の投稿まで「興味があるから」や「ちょっと時間があったから」という理由で読んで臨むことができることに英語力の差を感じました。

 授業中のディスカッションでも,英語の力の差を感じる場面がありました。ディスカッションでは,ある学生が発言した内容の,細かい内容について指摘し,その観点を深く掘り下げていく場面が時折見られました。私は,何を指摘したかすら理解できないことがあり,そのような状況では議論に参加できなくなりました。議論の大きな流れを従いながら,ある学生のコメントの細部を掘り下げていくところにも,英語力の差を感じました。






・周辺施設・気候

 留学の大きな魅力は,自分の普段暮らしている場所とは違う場所で過ごすことができることにもあると思います。その一例が周辺の施設になると思いますが,ネバダにはカジノが身近にあるという点で日本と大きく違いました。ネバダ大学リノ校からは歩いて15分くらいのところにカジノ街がありました。ネバダ大学リノ校の学生の40%しかギャンブルに行っていない(60%がギャンブルに行っている)というくらい,カジノが生活に密着をしているようでした。私はほとんどギャンブルをすることはありませんでしたが,カジノには安いレストランやお土産物屋があったり,週末にはイベントが行われたりと,カジノに行く機会は多々ありました。派手な建造物が徒歩圏内にあるというのはとても面白く,散歩でカジノ街の周辺をぶらつくこともありました。

 砂漠地帯ということもあり,気候は乾燥していて,4か月の滞在期間で数えるほどしか雨は降らず,傘は全く使いませんでした。また,夏でもリップクリームを使わないと唇が割れてしまうなど,乾燥した気候を体感することができました。ただ,夜には気温が下がり,蒸し暑いこともないので,個人的には日本の気候よりも好きでした。





・実践したこと・反省していること

 留学先では,一念発起して毎日英語でワードに日記を書いてみました。もとから英語で書くことはどちらかというと好きでしたが,「毎日書く」ということはいい勉強になったと感じています。自分の一日を振り返るための日記なのでたいしたことは書いていませんが,だんだんワードのページ数や文字数が増えていくのに喜びを感じました。結果,120日ほどの滞在で,学部時代の卒業論文よりも長い,120ページ,約45,000語の長さのものを英語で書いたことになりました。また,貴重な留学の一日一日を後から振り返ることのできるものを残すことができたという点でも,私にとっての財産になったと感じています。

 少し反省・後悔している点は,スペイン語を学ばなかったことです。アメリカに滞在している間,メキシコからの移住した家族の家にホームステイさせてもらいました。その家族の中では日常生活でスペイン語を用いていて,私もぜひ学びたいなと感じていましたが,日々の生活に追われて結局手つかずで終わってしまいました。少し話はそれますが,アメリカにはたくさんの移民がいました。現在,アメリカではトランプ氏が新大統領になったことで,移民についての議論の活発になっています。このような情勢の中でメキシカンアメリカンの家族と一緒に過ごせたことは,貴重な経験になったと思います。



写真の補足ですが、これはクリスマスの時期に行われる,Santa Crawlというイベントの写真です。
リノのカジノ街での最も大きなイベントで,サンタの格好をしてバーに行くとお酒が安く購入できます。



2017/02/25

2016年度後期の「昼読」を終えて


2015年度後期から始めた自主的な読書活動「昼読」の活動ですが、今年も何とか終えました。

きわめて地味な活動ですし、私自身、仕事の忙しさからさぼってしまおうかと思うこともないわけではないのですが、まさに「継続は力なり」で、この活動がなければ読まなかった本(特に外国語の本)はたくさんあります。また、会の最後での対話から私自身もたくさん学ぶことができました。(ひょっとしたら「昼読」の最大の利点はこの対話かもしれません)。

4月からの来年度では、教英だけでなくもっと広範囲の学生さんに呼びかけて、いろんな講座からの参加者を募りたいと思います。

読書が個人や社会の中で果たす役割を考えると、ぜひとも継続したい活動です。

以下は、今期特に出席してくれた二人の学生さんの振り返りです。




写真は打ち上げの焼き鳥屋さんで撮影したものです





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 2016年度の「昼読」を終えて

学部4年(英語文化系コース) M

今年度も有志で行っているお昼休みの読書会、通称「昼読」に参加させていただきました。昨年度に同じコースの大学院生の方に誘っていただいて以来ですので、かれこれ一年以上の参加になります。今年度は基本的に週三回の開催でした。私自身この昼読への参加の中で多くの事を学ばせていただきました。

 短い時間ながらも、みんなで同じ場所に集まり読書をする。そして、お互いに自分が読んだものの内容や感想、意見をシェアする。このように書くと、単純な活動のように聞こえるかもしれません。しかし、こうした活動形態ゆえに、自分ひとりで読んでいるときよりも、緊張と弛緩のバランスが取れたように感じています。つまり、自分だけで読んでいるときはついつい惰性的になってしまうこともありますが、読んだ後に内容や感想をシェアするとなると、他の人に伝えようという意識が生じるため、読みながら頭の中で緩やかに内容をまとめていくというプロセスが生まれます。

こうした活動の中で、自分が読んでいた本の内容に対して賛成するような意見が出たり、一方で批判的な意見をいただいたりすることもありました。その際、ある程度自分の読みを客観視することができたため、その後の読みをさらに充実させることにつながりました。

 また、この一年間で昼読にご参加いただいた方々のことを思い出してみると、教英だけでなく様々な所属先から足を運んでいただきましたし(e.g. 教育学部の心理学専門、日本語教育専門、文学部の職員の方…etc.)、皆さんが読まれていた本の種類も多岐に渡っていました。

今でも皆さんが読まれていた本のことを思い浮かべることができますが、このように皆さんが読まれている本を知ったことは、皆さんの興味・関心のある分野を知ることが出来ただけでなく、私自身の興味の幅をさらに広げることにもつながりました。今後も幅広い視点で英語教育について考えていくうえで、この昼読のような経験が重要になると感じております。

 最後になりましたが、今年度の昼読にご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。来年度も、ご機会があればぜひご参加いただきたいと思います。また、新たにご参加いただける方も大歓迎です。ご関心のある方は、お好きな本を片手に、お気軽にご参加ください。お待ちしております。
※以下は、今年度に私が読ませていただいた中で、とくに印象に残っている本の著者とタイトルです。来年度も、素晴らしい本との新たな出会いを求め、読書を続けていきたいと思います。


・J. K. Rowling, HARRY POTTER A L’ECOLE DES SORCIERS (『ハリー・ポッターと賢者の石』のフランス語版)
・ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』
・オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』
・ロラン・バルト『表徴の帝国』
・夏目漱石『こころ』 







「昼読について思うこと」

学部3年 (日本語教育系コース) O

昼読。今年度の後期から、ポスターを見てたまたま、でも勇気を出して参加してみて、いつの間にか常連になっていた。ここでは、失っていた読書習慣を取り戻せた、話の合う年齢を超えた友人のような知り合いができた、自分以外の知見を得ることができたなど、得たものはたくさんあったように思う。

しかし、昼読について思うこと、強い印象で一番はなにか、と問いかけられたとき、自分にとっての一番は、「出力すること」かなあ、と、参加を振り返って思う。英語で言えばアウトプット、こちらのほうが馴染みのある言葉だろうか。

昼読では、集まりの最後に、各自の読んだ本を紹介したり、感想を言ったり、それに関して別の人が反応したり、という習慣がある。実はこれ、自分にとっては結構ハードルが高かった。というのも、あまり人と本の内容で語り合ったことはなかったからだ。

読書、というのは非常に感受する割合が大きいものだった。書かれていることを読み、それがどんな意味なのか、自分にとってどういうことなのかを、やや感覚的に済ましていた。もちろん、今まで読んできた本の多くが小説だった、ということもあるかもしれないけれど。

ただ、昼読では、受信するだけでなく、送信もいる。読んだことをまとめる能力。まとめた上でどう思ったか、どう感じたか、どう考えたか。「じゃあ、これってどういうことなんだろう?」「どういう伝え方をすれば、この思いがわかってもらえるだろう?」。伝える際に、あんまりにもお粗末な伝え方では、自分にも、相手にも”理解してもらえなかった/できなかった”というしこりが残る気がする。それが嫌で、「考えながら」読んで、しかも「自分にとってどういう意味を持つかを」考えながら読んだ。いや、読むようになった。

伝える視点、この新しい読書視点を身につけられたという変化が、自分の「昼読について思うこと」である。




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2016年度も月・水・金に「昼読」を行います
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月・水・金の昼休みに「昼読」を始めます。英語・日本語文学・第二外国語での読書会です。
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2017/02/24

「勉強しよう」 --学部1年生の述懐--


以下は、「英語教師のコンピュータ入門」を受けてくれた HY君 (学部1年生)が書いた文章です(フォントや赤字部分なども含めてすべて原文です)。

願わくばこの「勉強しよう」という気持ちが継続しますように。いや、経験を重ねるにつれ、ますます深く、広く、そして味わい深くになりますように。


折しも明日は学部入試です。

受験生の皆さん、実力を出し切ってください。

でも勝負は時の運ですから、「失意泰然、得意淡然」で結果を受け止めてください。

どんな結果でも「学びたい!」という純粋な思いがあれば、あなたの学習は成功しているのですから。






*****



 私は全16回の授業を通して多くのこと学び、感じ、考えた。今まで自分になかった未知のものに数多く触れた。そのように新しい発見ばかりであったこの授業の最終課題であるポートフォリオを書く上で、毎週書き留めていた授業の振り返りを見返すなどして、自分の様々な変化に気づいた。そのような変化をいくつかピックアップして、以下に書き並べてみる。





◎授業を通して学んだこと



・文章の書き方が変化した。

 -毎回の授業の振り返りの文末をみると一目瞭然。“思います。思いました。”が“思う。思った。”に変化。それにより、幼く思えた文章が少し大人びたものになった。それに加え、ただ感想を書き連ねるだけだったのが、感じたことを元に自分なりにその問題について考え、自分なりの見解も文章の中に含めるようになった。また、いかにわかりやすい文章を書くか、読み手への配慮を優先するようになった



・コンピュータの便利さ、危険性を認識した。

 −小学生の頃から先進技術が発達し、世の中がとても便利になったと当たり前のように習ってきた。実際私も毎日スマートフォンやパソコンを利用し、技術革新の恩恵にあずかってきた。授業では、WordExcelはもちろんのこと、単語をクリックするだけで意味が表示されるWeb辞書なども扱われ、今まで知らなかった便利さを実感した。それと同時に、コンピュータによって人の職がなくなっていく未来が十分にあり得ることを知り、コンピュータが発達しすぎることに恐怖さえ感じた。そのような現状をよく理解した上で、コンピュータをうまく活用していくたいと思う。






・以前より、“教育”という分野に興味を持つようになった。

 -振り返ってみれば、これまではただ「教師になりたい」と思うばかりで、行動が伴っていなかったように思う。広大教育学部に入学したことで安心して、自発的に“教育”という分野に触れてこなかったことは認めざるを得ない。一度、教育という分野に触れてみると、その難しさや複雑さなどをとても感じ、口ばかりであった自分を恥ずかしく思った。これから学年が上がるにつれて教育に深く関わる授業も増えていくと思うので、その時に少しでも混乱を陥る可能性を減らすためにも、今のうちに本を読んだりインターネットを活用したりして、予備知識を増やしておこうと思う。



・建前での発言ではなく、正直な気持ちを表現することも重要であると学んだ。

 -授業の中で他の人と考えを共有する機会が数多くあった。その中で感じたことの一つとして、建前だけでの発言では話し合いが円滑に進まないということだ。みんなとの話し合いの中で建前での立派な論述を披露しても、必然と中身のない、共感されないものにしかならない。一方で、本当の気持ちに基づいた正直な意見であれば、共感される部分も多く、話し合いが盛り上がることが実感できた

  それと同時に、コミュニケーション能力を高めておくことも重要であると感じた。身近な人との話し合いの中でも、間が生まれたり円滑に進まなかったりしたのに、他の人との話し合いの中では尚更そうなるだろうと思う。そうならないために、知らない人と関わることでコミュニケーション能力を高めていこうと思う。



・教養への考え方が変化した。

 -正直なところ、今までの教養に対する私の考えは、教養は年を食えば自然と増えるものでそれほど重要なものではないというものだった。しかしこの授業を通して、自分なりの考えを持つには考えの根底となる教養が必要であると感じ、自分の中での教養の重要性が上がった。先生が授業の中で何度もおっしゃっていたように、本を読むことの重要性を幾度もなく感じた。本を読むことが得意ではないため、今まで小説以外の本をあまり読んでこなかった。しかし自分なりの考えを持つために、これからは少しずつ本を読んで豊かな教養を身につけようと思う






・英語の可能性、重要さを再確認できた。

 -今まで、これから先は英語が使えることが重要だと親や先生、大人たちに何度も言われてきて十分に分かっていたはずだった。しかしこの授業を通して、英語が使えることでインターネット上で学べる量が大幅に増加することがわかった。“英語を学ぶのではなく、英語で学ぶ。”これをキーセンテンスに、これから多くのことを学ぶために、確実な英語力を身に付けたいと思う



TedGraded ReadersWebページなど、英語を学べるのは教科書や参考書だけではないことを知った。

 −中学校や高校では先生が選んだ指定の教科書や単語帳、参考書などで英語を勉強していたが、この授業を通してTedGraded Readersなどの良質な教材を自分で選択して利用できることを知った。これからもTedGraded ReadersWebページなどを継続して活用していこうと思う





 上に書いたものはこの授業で学んだことのほんの一部でしかない。全16回の授業を受ける中で、新しいことを学び知識が増えた。それと同時に、先生の話を聞く中で、先生の知識の豊富さや考えの深さを感じ、自分の教養のなさを痛感した。授業における活動を通して、様々な考えを持ったが、それらをまとめ上げると、

勉強しよう。”

この一言に尽きる。大学生活で様々なことを経験しつつも、日々学ぶことを忘れずにこれから過ごしていこうと思う。